思考回路はショート寸前

 ここ2週間、私の頭の中は雑音が多い。頭の中で盛んに、言葉が生まれ思考回路が1人でに作動し始める。私の意思とは関係なく、ひっきりなしに言葉や考えが生まれては消えていく。頭の中を空にしよう、瞑想を行おうと意識的に無意識を作ろうとすると、今度は心に雲が掛かってくる。その雲は、晴れて太陽が出ている私の心にじわじわ忍び寄り、やがて私の心を覆ってしまう。太陽が隠れた世界では、朝なのか昼なのか夕方なのか区別がつかない。ただ、薄暗くどんよりしている。その暗闇と共に徐々に不安が心の中に押し寄せる。

 家事なんかしたくない。人の世話が嫌いな私は結婚に向いていない。子供がいるせいで自由がない。愛されないで育てられた私が、家庭を持ってしまったのは誤りではないか。

そういう風な、考えても無駄な事ばかり頭によぎってくる。そして、また思考回路が勝手に暴走を始める。何も考えないようにすれば、また不安が押し寄せてくる。

 

 本を読んでも、頭に入らない。物事を深く考えられない。もしくは、深く考えるだけの集中力が持てない。記憶力も著しく低下する。

この症状は、早くて数日、長くて2週間ほどすると消えていく。

 

東田直樹さんの「僕が飛び跳ねる理由」を以前読んだ時、自閉症の症状と私の症状が、僅かに類似しているように思えた。

 東田さんの行動の意味が理解出来るような気がする。

 文章を打つ事で、他人とコミュニケーションが取れるという事も少し納得がいく。私も文字にする事で集中力が若干増し、注意力がないにしても文字を少し打っては読み直す事を繰り返す事で文章を書くことが出来る。

 

そうやって、作り出された文章は自分の内側から湧きあがってきた潜在意識を具現化した物なのかもしれない。

ラベンダースティック

今朝は6時に起こされた。

そして朝の6時半に出張に行く旦那を車で駅まで運んだ。。。

 

私は休日なのに。。。昨日、私は結婚式に行き疲れている。。もっと寝たかった😪💤

 

しかし、一度車を運転すると目が覚めているせいで眠れない。。

 

外は雨☔️だったからお出掛けをする気分にもならなかった。

 

家で暇を持て余していたので、今日はこんなものを作ってみた。

 

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家で育てているラベンダーをリボンで飾り、スティック状にした芳香剤である。

 

あまり良い出来では無いが、リボンを🎀3つも付けとくと、5歳の娘は喜んでラベンダースティックを軽快に振り回しプリキュアになりきっていた。

 

プリキュアへの変身から、技を出すところまで一連の流れを終えたラベンダースティックは、玄関に飾られる事になった。

 

1本のラベンダースティックは、廊下もほとんど無い、風通しも悪い、家の狭い玄関を甘い花びらの香りで充満させるのに十分だった。

 

私はよく、手作りをする。

保存食を作ったり、紫蘇ジュース🥤やお菓子作り、、、また、父の日や旦那の誕生日プレゼントは毎年娘と一緒に作成している。

 

 

しかし、これからは写真と、言葉と、一緒に記録しておこうと思う。

 

良い出来のものなんて何一つ無いかもしれないが、私が消費した時間や労力、手間などがその出来上がったものにはあり、目に見えない自分なりの価値がある。

 

 

ラズベリーの進化

 家でラズベリーを育てている。ラズベリーとは、和名で木苺である。その木からはツルがいくつも伸び、一本の木からとても沢山のラズベリーが収穫できる。

 

進化前(収穫後)

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進化①  ジャム=進化前+砂糖

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進化②  ラズベリークッキー=ジャム+(卵黄+クッキーの素+バター)

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出来上がったものは家用とプレゼント用に分けられた🎁

 

自分で育てて、進化をさせていく。

その過程が楽しい。

 

そして、出来上がったものは大量生産ではないので、綺麗な形でも美味しいかも微妙ではあるが個性と付加価値がある。

 

自分で創作し、工夫し、トライし、完成させ、それをプレゼントする事🎁。喜んでもらえるかは、分からないが、そうする事で自己満足は最大に高まる。

 

私は、その一連の流れが好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

病から身を守れ!(予防接種は大事)

 またまた家族が病気に罹った。熱が38.7度まで上がりその後、最高39.7度まで上がった。車の運転が嫌いな私でも娘を病院に連れて行くためには車だって運転する。(車で約10分の小児科)可愛い我が子は、ぐったりしてほとんど話もしない。私の気持ちが焦る。

 病院では、高熱が出たためにインフルエンザとコロナの検査をしてもらった。結果はインフルエンザA型だった。予防接種をしなかった事が悔やまれた。。。予防接種をしていたら、こんなにも辛そうにしなかったかもしれない。予防接種をしていたら、もしかして発熱しなかったかもしれない。。そう思っても、時すでに遅し。。。私の横には、ぐったりしている我が子がいる。来年の冬(今年の12月)は、必ずインフルエンザの予防接種をしようと心に決め、「つらいなぁ。ごめんなぁ。」と、娘の頭をなでなでした。

 去年(2022年)を漢字一文字で表すとするならば、間違いなく「病」だろう。

家族がバタバタと倒れていくのを何度目にしたことだろう。。

旦那=コロナ×2+インフルエンザ(10月発症)

娘=コロナ+ノロウイルス+中耳炎+手足口病

私=突発性難聴(メニエール)+コロナ

まだ、足りないような気もするがこんなものだっただろうか。

 私はコロナの濃厚接触者にもなったりと、何度、会社を休んだのだろう。そしてどれほどの時間を家の中に閉じこもり、4歳の娘と2人で居たのだろう。(旦那は何処からか、病気をもらってくるので旦那は常に1人隔離されている)

 そして今年こそは、病気にかかりたく無いと初詣をした後の書き初めで「免疫強化」と書き家に飾っているのだが、なかなかそう上手くはいかないようだ。3月から旦那の花粉症が今年もフィーバーしたかと思うと、娘のインフルエンザだ。そもそもインフルエンザはそろそろ終盤では無いのか?そんな時期に感染するのは、免疫云々より運のなさなのでは無いかとも思う。(予防接種してないせいやろがい!とも思うが。。)

 なには共あれ、免疫強化を目標にするのであれば人混みは避けるべきだし、手洗いは大切だ。

 

そして予防接種は至極当然、するべきだ‼️‼️

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中島義道さんの『私の嫌いな10の人びと』

 中島義道さんの『私の嫌いな10の人びと』を読んだ。発行は2015年で私の若い頃に読むことは不可能だったが学生時代に読みたかった一冊でした。

 中島さんがあげている10の人びとのうち、8の人びとは私も嫌いだった。

 世間的にいい人とされる人たちが、傲慢で卑劣で、おせっかいで、自己陶酔が好きな下品な人たちなのかがよく分かる。 

 

 だけど、中島さんが嫌いだとあげている10の人びとは日本に蔓延っている多数派であり、それを嫌いだと自己主張する事はなかなか普段の生活では出来ない。日本では多数派に同調するのが良しとされている。みんなと同じが良い事。みんなと仲良くするのが良い事。そこからはみ出るやつは、変わっているやつとみなされる。

 

そして、中島さんの本を読み共感している私もまた、変わっているのだろう。

 

昔の私は多数派になりたかった。

世間の通念から外れてる自分の考え方は正すべきであり、口に出すべきではないと思っていた。そして、自分の感情を押し殺しているうちに、人間嫌いがますます増幅し高校2年くらいのとき、鬱になった。

 

いつも笑っている人はきみが悪い。何が面白いの?

常に感謝している人は他人に感謝を求める。

 

みんなの喜ぶ顔がみたい人の前では絶対に喜ばなければならない。

 

物事をはっきり言わない人には、時間をかけて寄り添わなければならない。寄り添ってもらう事を期待しているのが伝わってくるから。

 

多数派の前では、演じなければいけない事が分かりやすい。皆が同じような考えで、リアクションをしているので周りの真似をすればそれで良い。そして、多数派の奴らは自分では無自覚で他人に共感と共有を押し付けてくる。それに、合わせろと伝わってくる。

 

 

自分の信念を主張する事が出来ず、まわりに合わせようと努力する心が弱い私は、学生時代に中島さんの本に出会っていれば

どれほど心の支えになり、救われただろうか。。。

 

 

 同調圧力や普通だとみなされている習慣や文化から、外れることは決して『悪』では無い。

そういう思想がマイノリティの心を強くさせ生きにくさを軽減してくれる。

 

 

 

時間、空間、リズムの余白

人生において、効率ばかりを重視するのであれば、死ねば良い。

 

これは私の言葉ではない。ふらっと見ていたYouTubeで聞いた言葉である。

聞いた時、トイレットペーパーが水に浸るような感じで、私の中にじゅわっと一気に染みて来た。

 

 

何か、世の中大切な事が、全てがごちゃごちゃになっていると思う。

 

 

本来、私たちが大切にしなければいけないのは、空間であり、リズムであり、間合いであり、余白である。

 

埋め尽くされた時間や、空間、リズム、余白からは感じられるものはほぼない。

 

適度な洗練された隙間にこそ、自分の思いや意志、希望、愛情などを詰めることが出来る気がする。

 

共感

 自己了解(自らの感情の把握)は親が子供の感情を読み取り、言語化する事で養われる。

 

私は自己了解が出来ないまま大人になっているのだろう。自分の感情が分からない。

他者と自己の区別がつかず、情動伝染が生じ、他者の感情が自分に入り込んでくるような感覚に陥る。それは自分が自分でなくなる感覚だ。

 

喜怒哀楽などの分かりやすく感情が高ぶっている相手に限らず、他者のちょっとした感情の変化ですら私の中に入り込む。

それは、ラジオから聞こえるDJのトークやニュース番組での出演者の意見や会話からもその感情が私の中に入り込む。

それは不快極まりない。不安を煽り、情緒を乱す。

 

そして自他未分の状態が故に、自分というアイデンティティを保つのが困難になる。

 

人との心の繋がりは、私に混乱を招くのだ。

 

 

なぜ、今の世の中

SNSで他人の言動を逐一チェックし、他人に共感を過剰に求めるのだろう。。。

他人との希薄な繋がりがそんなに大事なのだろうか。そして、そのつながりの中で何をそんなに自分を誇示する必要があるのだろうか。

 

私には理解出来ない。

 

 

 

ただ、子供には他人との繋がりに喜びを感じる事ができる人間になって欲しいと切望する。

 

いつの世も、私のように人間嫌いは少数派であり、生きにくいだろう。

 

どうか私のようにならないで。。