成田悠輔さんのnoteを読んで
敵は友、友は敵 文明と新型コロナについて
https://note.com/narita_yusuke/n/n135877b83c40
先日、旦那と私と子供はコロナに感染した。
4歳の子供には本当に可哀想な経験だった。
保育園での初めての遠足、保育園でのお誕生日会、家族で行くはずだった旅行。。。
全てが無くなった。そして、目の前に用意されていたのは10日間の隔離生活だけだった。
感染経路は、旦那。
家族という非常に密な集合体では、様々なウィルスをうつし、うつされ、互いに交換している。だからこそ、今回旦那がコロナを発症した時点で、家族全員が発生するのは、当然の事なのかもしれない。
ただ、そうは言っても普段から人混みを避け、イオンモールを避け、日頃から水や食糧の備蓄、簡易トイレセットを自宅に置くなどしている、防災意識高めの私は納得がいかない。
外で何も気にせず、自分の欲望のまま飲みあるいていた旦那にうつされるなんて
理不尽だ。私や子供は何も悪い事をしていない。
隔離期間を終え10日ほど経った今も後遺症がある。関節や筋肉が痛く、歩く事が苦痛。倦怠感も酷い。
体調は優れないが、仕事は溜まりに溜まっているため仕事にも追われている。
体調が優れない中、仕事と家事と育児をしていると心にポッカリと穴が空いてきた。ただ、与えられた業務をこなす、心が空っぽの無心のロボットになっていた。
コロナは私から、普段の生活を奪い、発症から20日程たった今もいまだに私を苦しめている。だが、家族全員にコロナをうつした張本人は元気そうにしている。
何故、コロナを家族にばら撒いた張本人はピンピンしているのに私は、苦しまないといけないのだろう。。。。
人類は、いつも同じ事をし、ぐるぐる回っている。第二次世界大戦のときは、世界を救ってくれるヒーローを今か今かと待ち続け、第三次世界大戦と言われる今も救世主が現れるのをリモートやSNSを通じて暇つぶしをしながら、じっと待っている。
夫婦間でもそうなのだろう。
家庭内で幾度となく勃発する大戦争や、冷戦。
その一連の流れを何度繰り返すのだろう。
ただ時間だけが徒らに流れていき、問題が解決しないまま、うやむやになっていく。
密教でいう三密は、人間が逃れることの出来ない呪いなのかもしれない。
そして厚生労働省が推奨している三密は、家族にとって逃れられない呪いなのだろうか。
成田さんの「友は敵、敵は友」を読むと、自分にとって身近で関わりが深いものほど、自分にとって最高の友となり、最大の敵になり得るのだと言うことを知った。
私自身も家族にとって最大の味方にもなれば敵にもなる。
今の私の最大の敵は、旦那である。
その一方で旦那の最大の敵は、私なのだろう。
敵と友は表裏一体。
愛と憎しみも紙一重。
今は旦那への憎しみと、憎悪で私の心は覆われているが、いつの日か、この心は旦那への愛に変わるのだろうか?
眠りに入るとは
今、布団の中から窓を見ている。
窓から入ってくる、ひんやりとした風が髪や頬にあたる。
その冷たい風に乗って、遠くで電車が走る音がかすかに聞こえてくる。
体で風を感じ、風に乗って運ばれてくる電車や虫の音、車の音に耳を傾ける。かすかに草の匂いも漂ってくる。
五感が研ぎ澄まされると、やがて意識は、ふわふわし空気のようになる。窓から入るひんやりとした風や私のいる空間、私の意識、全てが解け始める。やがて、わたしという物体はなくなり世界と一体になる。
この肉体と空間との融合により私の意識は薄れていき、眠りにつく。
意識の中では、眠ることとは肉体と空間の融合なのかもしれない。
キャンプ好きの親のエゴ
去年に引き続き、我が家にキャンプシーズンがやってきた。
アウトドアが好きな旦那と私。。。
それに付き合わされている3歳の子供。
『もう、キャンプ飽きてんねん』
キャンプ当日まで、何度かその言葉を耳にしたが、私は『そうか、そうか』と会話を広げないようにしていた。
ゆうなちゃんは、家が大好き。3歳なのに、すでにインドア派。YouTubeも、もちろん好きだが、おままごとや絵本、かるた、ブロックにパズル、絵の具🎨、工作と、家での遊びが好き過ぎて、中々外で遊ばない。
そして、特に好きなのはディズニープリンセスだ。ディズニープリンセスの人形での、おままごとやディズニーのアニメが大好き‼️
ディズニーの世界では、美しいドレスに優雅なダンスパーティ、描かれている自然の景色は、花が咲き乱れ、蝶が飛び、動物たちに至っては可愛いぬいぐるみのようだ。
だけどキャンプはどうだろうか。。
テントの周りではハエのような虫が飛び回り、トイレは、とても臭くて薄暗く、大きな蜘蛛や蛾などがいる🦟🕷。その平然と佇んでいる虫たちの姿は、『ここは自分達の住処だ。お前達がくる場所ではない』という雰囲気を醸し出している。キャンプのトイレとは、虫の棲家であって、人間が虫達からトイレを借りるためにお邪魔し、用を足すとそそくさ出て行かなければならない場所なのだ。
そして、川のまわりの草むらには大量の鹿のフン🦌●●●
結菜の好きなディズニーの世界とキャンプ場では雲泥の差がある。
ゆうなちゃんがキャンプ嫌いなのは、そのせいだろう。
しかし親のエゴかもしれないが、私はどうしてもキャンプに子供を連れて行きたい。
キャンプに行くと、季節ごとに対策を考え、準備しなければならない事が沢山ある。
春は寒暖差が大きいので、暑さや寒さを調節できる服装やシュラフや布団を用意する。夏は蚊🦟やあぶ🪰、などの虫の対策をし、暑くても腐らない食べ物を考えなければならない。秋や冬もそれぞれ季節に応じた準備物があり対策し、キャンプに挑む。個人的には、その過程が重要でありキャンプの醍醐味であるように思える。当たり前だが、自然に順応出来るよう工夫する事で、ようやく自然に身を置き自然を満喫する事ができる。
春のキャンプ場に降り注ぐ温かな日差し。
川のせせらぎの美しさ。
夜空や焚き火。
朝日を見ながら飲むコーヒー
それらは心を穏やかにし和ませてくれる。しかし、それらは全てオマケである。キャンプ場での生活を難なくこなせる心の余裕が無ければオマケはついてこない。
ゆうなちゃんはキャンプが、好きでは無い。
だけど、学んで欲しい。
電気が無いとはどういうことか。
自然は綺麗なところばかりではない事を。
四季に応じた、キャンプでの対策とは何か。
そして、心にゆとりがある時のオマケのことも。
贅肉の育て方
動きにくい。。。
歩くこと、走る事、体を動かす事、全てが軽やかには出来ない。
階段の上り下りの際、お腹の贅肉と太ももにまとわりついた🦵肉を感じながら、ドスドスと歩く。
手を上げる、足を上げる、座る、立つ。。
どんな動作でも全身についた贅肉を感じたくないのに、感じてしまう。
体にまとわりついた、ぶよぶよの肉は大袈裟に揺れたり、弾んだり、必要以上に存在感を出してくる。
太っている人が動くのが億劫になるのは、2つ理由があるのではないかと思う。1つは全身についている贅肉の重りのせいで体力を奪う事だ。そして2つ目は、一つ一つの動作に連動して存在を十二分にアピールしてくる贅肉の鬱陶しさのせいだ。
子供を産んで、4年。。
暴飲暴食、その上、運動を一切しない。
・好きな事は、食べること‼️お酒を飲むこと‼️
・ストレス発散方法は食べること‼️
・好きな食べ物はピザ🍕にチーズに、唐揚げにグラタンにスパゲティ🍝‼️
・高カロリー 万歳‼️
・サラダ?なにそれ? 草やん‼️
どうだ‼️‼️‼️‼️
美味しいもの、好きなものを食べる幸せは生きる最大の楽しみになるのだ‼️
……………(間)
しばし、食べたい欲求に負けると強気になる自分がいる。。。
自分に正直になり、心を解き放つのが素晴らしい事だと自分に言い聞かせ、太っている事を正当化する。
そして好きなだけ食べ、ひとときの幸せに浸る。
……………(間)
また、しばらくしてふと思う。
この贅肉は、
なんなんだと。。。